町山智浩の言霊USA 第716回 2024/03/30
AAVE(African-American Vernacular English=アフリカ系アメリカ人日常英語)
「vernacular」は、"the language or dialect spoken by the ordinary people in a particular country or region"と定義される。これは、「特定の国や地域で一般の人々によって話される言語や方言」という意味である。
「vernacular」は、"the language or dialect spoken by the ordinary people in a particular country or region"と定義される。これは、「特定の国や地域で一般の人々によって話される言語や方言」という意味である。
「出版社は黒人の本を求めてるんだ」
「私じゃダメなのか? 黒人だぞ」
今年のアカデミー賞脚色賞を受賞した映画『アメリカン・フィクション』の主人公、セロニアス・エリソンこと通称モンク氏はアフリカ系の作家。父は医者、自分は名門ハーヴァード卒。大学で文学を教えている。書いているのはギリシア悲劇を現代に移した小説で、高尚すぎて売れない。モンクのエージェント(アメリカの作家は芸能人のようにエージェントと契約する)は「もっと黒人っぽい小説を書いてくれ」と言う。
「黒人っぽくってどういう意味だ?」モンクはキレる。「父親はろくでなしで、ラッパーで、クラック売ってて、最後は警官に射殺されれば黒人っぽいのか?」
でも、モンクの母親が認知症になって、高い介護施設に入院させる金が必要になる。彼はヤケクソで、ゲットー(黒人スラム)で育ち、ドラッグを売り、人を殺して逃亡中のギャングのフリをして、OurをWe'sと言うようなAAVE(African-American Vernacular English アフリカ系アメリカ人日常英語)で自伝風小説を書く。出版社がこれを気に入り、ベストセラーにしようとする!
原作は2001年にパーシヴァル・エヴェレットが書いた小説『Erasure 消去』。モンクと同じくエヴェレット自身も歯医者の息子で、名門ブラウン大学卒。大学で教えながら、ギリシア悲劇を現代に置き換えた小説を書いていて、売れなかった。
でも、この『消去』が売れたので、作風を変えた。皮肉たっぷりのメタフィクションへと。
次作『アフリカ系アメリカ人の歴史』(2004年)には『ストロム・サーモンドが売り込んだ』という副題がついていた。
ストロム・サーモンドは実在の政治家で、2003年に100歳で死ぬまで連邦上院議員を47年間も務めた。南部サウスカロライナ出身で、南部で続いてきた黒人差別を守ろうとした。1957年、南部の黒人に選挙権を認めることに反対して24時間18分の演説を行ない、フィリバスター(議事妨害)の最長記録を作った。1960年代、人種隔離政策の撤廃にも激しく反対した。しかし、彼の死の直後に、娘が名乗りを上げた。肌が黒かった。サーモンドが22歳の時に自宅のメイドだった当時16歳の黒人少女に産ませた娘だった。
パーシヴァル・エヴェレットの『ストロム・サーモンドが売り込んだアフリカ系アメリカ人の歴史』は、サーモンドが語る差別的なアメリカ黒人史の聴き取りを依頼されたエヴェレット自身と出版社のドタバタを描く諷刺小説。この手法で、エヴェレットは2013年に、病床にあるパーシヴァル・エヴェレットが語る回想(例によって嘘くさい)を息子ヴァージルが聞かされる『ヴァージル・ラッセルによるパーシヴァル・エヴェレット』という小説も書いている。
2009年の小説『I Am Not Sidney Poitier』の日本語訳は、『私はシドニー・ポワチエではない』ではなくて『私はノット・シドニー・ポワチエ』。ノット・シドニーという名の少年が、ハリウッド初の黒人スター、シドニー・ポワチエ主演の全作品を合わせたような人生を送るという物語。『手錠のままの脱獄』のポワチエのように白人と手錠でつながれたまま刑務所から脱走し、『野のユリ』のポワチエのように修道院の屋根を修理し、『夜の大捜査線』のポワチエのように殺人事件を推理し、『招かれざる客』のように感謝祭で恋人の実家のディナーに招待される。
2021年の『木々 The Trees』は恐ろしいミステリーだった。南部ミシシッピで2人の白人の死体が別々に発見される。どちらの死体の傍らにも顔が判別不能なほど破壊された黒人少年の死体が置かれていた。その黒人の死体は2件ともすぐに消え失せた。
警察の調べで、殺された白人2人はどちらも60年以上前の黒人少年リンチ事件の犯人の息子だとわかる。そして、消えた黒人少年の死体は、リンチの被害者エメット・ティルそっくりだった。
“白人が安心するから” 1955年に実際にあった事件だ。シカゴからミシシッピの親戚の家を訪れた14歳の黒人少年エメット・ティルは、雑貨屋で店番をしていた女性にちょっかいを出したと疑われ、その女性の夫とその弟に拉致され、目玉をえぐられた惨殺死体で発見された。
エメットの母はシカゴで棺を開けて息子の遺体を公開し、黒人差別の実態が世界で報じられた。犯人の兄弟は逮捕されたが、全員白人の陪審員は2人を無罪にした。その子孫にエメットの亡霊が復讐したのか?
多作なエヴェレットは今年も新作を上梓した。タイトルは『ジェームズ』。マーク・トウェインの名作児童文学『ハックルベリー・フィンの冒険』で、ハックと共にいかだで大冒険する逃亡奴隷ジムの一人称で書かれた小説だ。
トウェインの本でジムはMaster(ご主人さま)をMassaと言うように文法的に間違った英語を話すが、エヴェレットの本は正確で知的な英語で書かれている。実はジムは密かに図書館に忍び込んで法律書や思想書を読み、ジョン・ロックやヴォルテールを批判するインテリだったが、無学なフリをしていた。
そのほうが白人が安心するからだ。
『アメリカン・フィクション』の主人公モンクは大学で、白人作家フラナリー・オコナーの小説『The Artificial Nigger 人造黒人』を教材に使ったのがきっかけで休職させられる(Niggerという差別語のため)。モンクに出版社が求めた「黒人っぽい黒人」とは、まさに「人造黒人」なのだ。