更新日:2019.05.16 公開日:2019.05.06 Re:search 歩く・考える

「エクソダス(Exodus) 」壁を越える移民たち

南北アメリカ大陸は地図上ではつながってみえるが、車で渡ることはできない。北米アラスカから南米パタゴニアまで縦断する「パンアメリカン・ハイウェー」が途切れる空白地帯「ダリエンギャップ」があるからだ。 密林と湿地。マラリアや毒蛇。麻薬カルテルと武装組織。直線距離で100キロほどの「空白地帯」に潜むいくつもの危険が、豊かな北米への道を阻む「壁」になってきた。ところがここ数年、ダリエンギャップを越え、遥かアフリカやアジアから米国を目指す移民たちが増えている。その先の道のりも、「エクソダス」(大量脱出)と呼ばれる移民集団の出現で一変しているという。何が起きているのか。(村山祐介、写真も)

パタゴニア【Patagonia】 南米大陸南端、アルゼンチンとチリにまたがる台地。国境をなすパタゴニア‐アンデスからは多数の氷河が流下。チリ側は湿潤で森林が発達しているが、アルゼンチン側は乾燥しており牧羊業や石油・天然ガス資源の開発が盛ん。

翌朝、郊外の波止場(なみどめば)からダリエン湾を渡るボートに乗り込むと、すし詰めの乗客45人のうち、41人が移民で、中には子どもも10人いた。ビーチリゾートの町に向かう一般の定期便だが、オフシーズンのいまは、移民船のようになっていた。

出発するや小さなボートは荒波を猛スピードで進む。すぐに波しぶきで目を開けていられなくなった。10秒ごとに波頭(なみがしら)を越え、乗客の体がそろって宙に舞い、着水のたびに椅子に打ち付けられて悲鳴が上がる。歯を折りかねない。慌ててハンカチを口に含もうとしたが、手すりから手を離せなかった。着水した弾み(はずみ)で背凭れ(せもたれ)が外れ、前列の(Haiti)の少年が床に崩れ落ちた。「ちょっと、止めてくれ!」と叫ぶと、後列のインド人から怒声が上がった。「だめだ。速度を落とせば転覆する」。近くの海域では1カ月前、夜陰に紛れた密航船が荒波で壊れ、約20人が亡くなる事故が起きていた。

途中でエンジンが故障し、予定の倍の6時間かけてパナマ国境に近いカプルガナに着いた。移民たちが神への感謝を口にするのが分かった気がした。パスポートも靴底に隠した米ドル札も水浸しで、カメラ3台が動かなくなっていた。地元の人に話すと、肩をすくめた。「移民を一番最後の船に集めて、家畜のように乱暴に扱う船長が多いから」

「天国」への道

船旅を終えた移民たちは夜明け前、「コヨーテ」と呼ばれる密航手引き人とともに数十人の集団になって、町はずれの山道から自然保護区のジャングルに入るという。その入り口には、看板が立っていた。

「El Cielo」。スペイン語で「天国」を意味する。いくつもの山を越えて崖を下り、川を渡った先に、天国を思わせる美しい湖沼(こしょう)があるという。だが道中は、誘拐(ゆうかい)や強盗(ごうとう)、置き去りといった危険に満ち、けがや熱帯病で歩けなくなっても助けは来ない。港に面した宿のオーナー、ネシー・ホハナ(30)は「捨てられた服と人骨、とりわけ子どもの骨がよく見つかる」と話した。

私自身はボートで空港のある隣町へ行く予定だったが、はからずも(思いもよらず)移民たちの道のりの一端をたどることになった。高波で港が閉鎖されたのだ。船が出るまでに1週間以上かかることもあるという。犯罪組織の影がちらつく港に長居は避けたいが、隣町までは直線距離16キロの獣道(けものみち)で、山越えもある。馬3頭とガイドを手配し、通訳とともに「天国」の入り口に戻った。

危険な「天国」には進まず、なだらかで安全という海側の道を選んだが、馬上でも息が上がる。分かれ道が多く、移民が目印にしたらしい布切れが枝に結ばれ、ジーンズも捨てられている。2年前にキューバ移民の遺体が見つかった場所を過ぎたとき、ガイドは言った。「遺体なんて何度も見たよ。別のルートではアフリカ系の妊婦(にんぷ)が死んでいた」

■ジャングル最奥の多国籍な村

川を十数回渡り、いくつもの牧場を通り抜けて5時間半。隣町に着いた時には日が暮れかけていた。移民たちはこの密林の奥を、小川の水をすすり、ビスケットを食べながら1週間ほどかけて越えて、パナマ側にある人の住む村を目指す。

私は、パナマ市から移民が到着する地を目指した。その一つで、少数民族が暮らすジャングル最奥の村バホチキトを訪ねると、まるで国際会議を思わせるような多国籍の顔ぶれであふれかえっていた。

川べりで水浴び(みずあび)するハイチ人やペルー人、高床式住居の木陰には青いターバンを巻いたインド人。人口約250人の村に世界中からの移民が約450人も集まっていた。

国境警備隊の詰め所の黒板には、ネパールやスリランカといったアジア、コンゴやカメルーンなどのアフリカ、キューバなどのカリブ海まで、20を超す国名と人数がチョークで殴り書きされていた。移民が増えたのは2015年ごろという。体を壊す人も少なくなく、前日にもアフリカ系の人の水死体が見つかっていた。村はずれの墓地には、土を盛ったばかりの跡があった。

女性や子どもの姿も目立つ。近くの村で会ったハイチ人女性は15人のグループで6日間、密林を歩いた。「食べ物がなくて本当に大変で、マラリアになった人もいます。でも子どもは米国で産みたいんです」と膨らんだおなかをさすった。

■コロンビアからパナマへ、4年で100倍

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計を見ると、コロンビアからパナマに入った外国人は11年に300人足らずだったのが、15年と16年は約3万人に。わずか4年で100倍に膨らんだ。その出身国はアフリカ、アジアを中心に約50カ国に及ぶ。なぜわざわざ南米に渡り、危険なダリエンギャップに身を投じて北米を目指すのか。

UNHCR中米キューバ地域代表ジョバンニ・バス(48)は、「欧州に向かう地中海ルートが困難になり、だれもが代替ルートを探していた」と話す。中東やアフリカなどから難民が殺到した15年の「欧州難民危機」で欧州諸国が門戸を狭めたため、代わりに米州に向かうようになった、というのだ。「密林を抜ける危険が、十分に理解されているとはとても思えない」

この新しい流れの中で、米州に目を向けた移民の「玄関口」になったのが、多くの国からビザなしで入国できるエクアドルや、五輪やワールドカップで外国人労働力を受け入れてきたブラジルだ。国を逃れざるをえない人、貧しい母国に帰らずに豊かな国を目指す人。ダリエンギャップはこうして、彼らが明日を描くのに、どうしても越えなければならない「壁」になっていった。

ダリエンギャップを越えた移民たちはその後、さらに北上し、「北の三角地帯」と呼ばれるホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの3カ国から米国を目指す人たちの波に流れ込んでいく。

警察やギャングを恐れ、人目を避けて身を潜める「伏流水(ふくりゅう‐すい)」だった移民の流れが突然、堂々とした「大河」に変貌したのは昨年10月のことだ。数千人規模のキャラバンを組んで米国境に迫り、中間選挙を前にした米大統領トランプが「侵略者だ」と非難したことで世界中のメディアの注目を集めた。「エクソダス」(大量脱出)と呼ばれ、「完全にゲームを変えた」とも言われるキャラバンの背景に何があるのか。私は同行することにした。